小振りなので形は悪いが、香りはなんとも表現のしようがないくらいに素晴らしい。味も濃い

いつも釣りの獲物を届けてくれる釣り名人の蛸さんは、タコを食べることも、タコ釣りも大好き。だからみんなに蛸さんと呼ばれている。
「明石のタコいりませんか?」
うれしい連絡が入ってほんの数十分で鮹さんがタコを下げてきてくれた。マダコはすでに塩でもまれてきれいに処理されている。
「鮹さん、これ、ゆでるだけなんだね。超ありがとう」
マダコを料理するその労力の六割以上はぬめり取りだろう。タコの内臓を取り出し、足(実は手)と足の間の膜を切る。はじめはむやみやたらにもむ。このとき大量のぬめりが出てくる。何度かぬめりを洗い流して、仕上げに塩でもみ、水洗いしてよく水分を拭き取る。これだけでヘトヘトに疲れる。鮹さんはいつも至れり尽くせりで優しい。タコにしておくのはもったいない気がする。
いちばん大きな鍋を出して、水と番茶を入れて沸騰したら足の方からちょんちょんと沈めていく。ゆであがったかなと思ったら、金串を刺して中まで温かいとOKだ。氷水に落としあら熱を取り出来上がり。
昼下がり、ゆで上がりを『市場寿司』に持ち込んで、まずは足二本を味見する。たかさんが口に入れて、困ったなという顔つきになる。
「これ、違いありすぎだよ」
「うまいんだからいいじゃない」
「お客になんて言うの? いつものはミズダコだから味が落ちますっていうわけ。そんなのダメさ」
「去年同じこと言ってたよね。確か内房で常連さんが釣ってきたヤツ」
「東京湾のだろ。こっちは明石だよね。ようするにピンだ。うちにあるのもいいもんだけど、それでもね」
たかさんを擁護すると、最近のお客は柔らかいミズダコを好むのだ。マダコは「身が締まっている」のではなく「硬い」と感じるらしい。
二本の足で六かんの握りがつけられた。小振りなので形は悪いが、香りはなんとも表現のしようがないくらいに素晴らしい。味も濃い。
「職人でタコ嫌いな人、少なくないんだ。オレも嫌いだったの。つけてすし飯と馴染まないのがね」
たかさん、まな板でタコの頭を刻みビニール袋にしまいながら。
「これは、後のお楽しみだね」
足を二本落として水っぽい鰭の部分を切り取る。きゅうりを細かく刻み、中巻きにしてパックにつめた。
「それどうするの?」
「Tのおやつ」
T君は近所の会社の配送係。朝早くから働いているので、午後三時には仕事が終わる。たかさんはT君に毎日、トラックの中で食べられるおやつの巻ものを作っているのだ。
「タコ焼きじゃなく、タコ巻きだね。おやつで中巻き二本は食べ過ぎ」
「あの体、あの姿だからね」
「ボクも夕食用に二本ね」
T君の姿を思い浮かべた。まるで大ダコ入道だ。とすると鮹さんは中ダコだけど髪ふさふさなのでタコ怪人かも。それとT君はいつも女性にモテモテなのは、なぜだろう? ひょっとしたらタコ的な人間はみなモテモテかのかも知れない。
ふと、鮹さんから来た明石での画像を見ると、アイドル系の若い女性を両脇に、真ん中のタコ怪人がニコニコ顔なのである。まさかとは思うが、鮹さんも女性にモテモテ?
さて、ひと仕事終えて、たこ焼きじゃなくてタコ巻きを食べる。小ダコの足丸ごと一本入っている豪華版。この香りに、この味の濃さ。すし飯と混ざってそこに爽やかなきゅうりの味。たかさんが小さなパックに入れてつけてくれた煮きりをたらしても、そのままわさびじょうゆで食べても味は天下一品だ。
何気なく鮹さんの画像を見直す。やっぱりキャワイーな、この娘たち。
マダコ(八腕目マダコ科マダコ属)

太平洋側では茨城県以南、日本海側では能登半島以南の温かい海域に生息する。ただし日本海には少なく、むしろ世界一大きなミズダコの方が多い。
漢字は「章魚」というのが正しいようだ。「鮹」は和製漢字で、本草綱目啓蒙という江戸時代の本に「鮹魚」はヤガラやハモに似ている魚のことでタコではないとある。「たこ」の音は「た」は手のことで「こ」は多い、すなわち手が多いという意味。また「た」は手で、「こ」はナマコのことで手がナマコのように見えるからだとも。
古くはタコと言えばマダコのことであった。これが今や国産ではミズダコの方が主流だし、輸入ものはモーリタニアなどアフリカ産が多い。マダコは需要が高いのに少ない。そのせいか常に高値をつけている。また品薄になると高騰する。産地によっても値段が違うが東京湾、兵庫県明石などでとれるものがトップブランドで高い。
基本的にゆでたもの(これを魚河岸では「煮だこ」という)を売り買いする。だいたい1㎏あたりで卸値4000円前後が普通。ブランドものは卸値5000円することも。今回の主役、トップブランドの明石ダコならゆでて0.5㎏なので1尾で2500円だ。
◆協力『市場寿司 たか』
八王子市北野八王子綜合卸売センター内の寿司店。店主の渡辺隆之さんは寿司職人歴40年近いベテラン。ネタの評価では毎日のようにぼうずコンニャクとこのようなやりとりをしている。本文の内容はほとんど実話です。
文責/ぼうずコンニャク
魚貝研究家、そして寿司ネタ研究家。へぼ釣り師でもある。どんな魚も寿司ネタにして食べてみて「寿司飯と合わせたときの魚の旨さ」を研究している。目標は1000種類の寿司を食べること。HP『ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑』も要チェック。
以上の記事は「つり丸」2017年8月1日号の掲載記事です。
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