甘味があり、ほどよい硬さで、舌の上から、すし飯とすしダネが同時に消えてなくなる。感動一入である

久しぶりに兵庫県明石に行ってきた。地元の明石浦漁協が船を出してくれて、明石海峡を船で巡る。行き交う大型船、春の風物詩イカナゴ漁の船団。播磨灘にある広大な海苔網場ではノリの最終摘み取りの最中。瀬戸内は春たけなわだった。
帰宅後、久しぶりの『市場寿司』で、ボクを待ち受けていたのは、外套長(胴の部分の長さ)十五センチ前後の相模湾産マルイカ(ケンサキイカ)であった。たかさん曰く
「昨日の昼過ぎ、『これ相模湾で釣りました。ぼうずさんにどうぞ』って知らない人が置いてったんだ」
「誰だろう?」
「誰でしょう?」
さっそく握ってもらったら甘味があり、ほどよい硬さで、舌の上から、すし飯とすしダネが同時に消えてなくなる。明石でうまい魚を飽食した後なのに、感動一入である。
古くから江戸前ずしは、このすし飯とすしダネが融合して、同時にのどに消えていくのをよし、としている。その点でも見事な握りだ。
一ぱいで二かんの握りだけでは、切ないな、といううまさだ。
「後ろ髪を引かれる味だろう」
「どうしてわかるの?」
「二はいもらったから、味見しといた。うまいねー、このイカ」
三月になると、都心で飲む機会が増えた。ほとんどがお別れの宴である。三月は別れ月、四月は出会い月ともいう。新宿でへべれけになっていると、八王子の市場で干ものなどを扱っている福さんから「マルイカ置いといたからね」とケータイ。
最近、圏央道ができて相模湾がぐっと近くなり、多摩地区の釣り人の釣行の頻度が増しているようだ。
この福さんのくれたマルイカがデカイ。大原などで釣れるアカイカクラスだ。外套長が二十センチ以上ある。昼下がりの『市場寿司』のカウンターに座ると、生の握り、耳の握り、げそと、マルイカづくし。
お礼にケータイをかけると、
「今年のマルイカはすごいんだ。来週も行くからね」
最後に、耳をもう一かん追加して、
「もう食えねー」
さて、相模湾のマルイカの味の特徴は甘さだろう。その上、前日に釣ったばかりなので、身がこりこりとして心地よい。「ブラボー」だ。
店じまいをしながら、島根県隠岐の白イカの一夜干しを焼いてもらう。酒は隠岐で人気の高正宗。そういえば、白イカもケンサキイカなのでまさにケンサキづくしだ。
づくしは翌朝も続く。黙って座るとお茶と、なんとマルイカの印籠が出てきた。マルイカの胴の部分を甘辛い煮汁で短時間煮て、これにすし飯を詰めたものが印籠。印籠は江戸時代の、薬などの小物を入れる携帯容器で、この形に似ているからの名前である。出始めの木の芽が見た目に春を演出してくれている。
この煮イカを作るすし店も極端に減っている。多摩地区でも一、二軒、三軒あるかどうか。都内人形町には煮イカの名人もいるが、老齢である。多摩地区では八王子最年長職人の忠さんが煮イカ名人だ。
その忠さんが孫を連れて『市場寿司』でマルイカの印籠をつまみ、
「こりゃぜいたくだな。スルメよりも柔らけーし、うま味も強い」
普通のすし屋さんでは「ケンサキで印籠を作ったら一本千円以上とらなければダメ」だというから、あだやおろそかに食べるべからず。昔、八王子にいた流れ職人(※注)が、小田原のマルイカで煮イカを作っていたというが、それは常連さんだけに出す、スペシャルであったという。
「そういえば、先日マルイカ持って来てくれたの、どんな人だった」
「若い女性だったよ」
「おっ、ボクにも春が来そう」
マルイカ(ツツイカ目ヤリイカ科ヤリイカ属)

生息域は非常にわかりにくい。ケンサキイカにはメヒカリイカ、ゴトウイカ、ブドウイカの3型があるとされる。相模湾のマルイカは、青森県以南に広く生息する、あまり大きくならず丸みのあるメヒカリイカ型だと思われる。山陰、西日本に多いゴトウイカ型は細長く大きくなる。山陰などではこれを真イカといい、寒い時期に山陰沖でとれる、ずんぐりとして小型のブドウイカ型と区別する。
すしの世界には4大高級イカというのがある。江戸前の基本ネタであるコウイカ、ヤリイカ、アオリイカ、そしてケンサキイカで、特上ずしに使われるものである。
相模湾周辺で売られているケンサキイカでも、地物は少しずんぐりして丸みがあるのですぐにわかる。築地など東京都内の市場でも、希にこの相模湾のマルイカが売られている。近場で上がり、鮮度がいいので非常に人気が高い。当然、ケンサキイカの産地別にみても高価である。山陰のケンサキイカが1キロあたり2000円弱なのに対して、東京の地物相模湾ものは1キロあたり3000円近くすることもある。1杯400グラムサイズで1200円くらいすることも少なくない。取り込みは慎重に。
◆協力『市場寿司 たか』
八王子市北野八王子綜合卸売センター内の寿司店。店主の渡辺隆之さんは寿司職人歴40年近いベテラン。ネタの評価では毎日のようにぼうずコンニャクとこのようなやりとりをしている。本文の内容はほとんど実話です。
文責/ぼうずコンニャク
魚貝研究家、そして寿司ネタ研究家。へぼ釣り師でもある。どんな魚も寿司ネタにして食べてみて「寿司飯と合わせたときの魚の旨さ」を研究している。目標は1000種類の寿司を食べること。HP『ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑』も要チェック。
以上の記事は「つり丸」2014年4月15日号の掲載情報です。
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